うる星やつら2 ビューティフルドリーマー

ウンナンに関係のない記事で申し訳ない。
休み中にうる星やつらの劇場作品ビューティフルドリーマーを観た。
理由は

そして何より

  • かつてANNのイベントであった「内村映画祭」の上映作品であったこと。


という、諸々の理由に最後の大檄打が加わり、初めてこの作品を観る運びとなった。


のっけから度肝を抜かれた。
最初のシーンから、本来のうる星の世界とはかけ離れた、荒廃した大地が描かれる。
続いて、サクラにラム親衛隊の面々、「ダ〜〜リ〜ン」と水上スキーを操りながらあたるを呼ぶラムの声でようやく、これはうる星なんだと気づく。
そこから更に日常のシーンが描かれ、ああ、いつものうる星だとほっとするのだけど、少しずつ、温泉マークに合わせ、観ているこちらも異変に気づく。いつもの日常の筈なのに、どこか違う。そんな不安を抱く。
この不安は明るいシーンにおいても下手したらEDまでずっと付きまとう。これは、本来の主役であるところのあたるやラムが物語終盤までメインに回らず、周りの変化だけで描かれているせいもあるのかもしれない。
ラムに至っては、彼女の感情、考え、行動がほとんど描かれず、すべての状況にただ笑っているいつもそこにあるだけのラムとして描かれている。そして、この状況に動じることのないラムに、恐ろしさすら感じる。
EDも決してスッキリとはしない。何が善くて何が悪かったのか、そういう概念も無く、あたる達が果たして本当に現実に戻ってこれたのかその判断もつかない。


映像も全てが不思議に満ち満ちている。
誰もいない車も通らない深夜の町。顔の無いチンドン屋。階数の変化する校舎。幾重にも連なる風鈴。合わせ鏡のような何人ものあたる。DNAの螺旋。
デジャヴを感じさせるように、少しずつセリフを、カメラ回しを、場所を変えて繰り返される似たような光景。


攻殻機動隊』の時にも思ったのだけれど、押井守という人は、あまり原作の作品世界を守ることよりも、それを崩し、自分の作品としてしまう。
この作品は、『うる星やつら』という作品それ自体を崩しかねない。キャラクターがあまり活用されていない点で『うる星やつら』という作品でやる必要の無かった題材だと思うのだけど、でも『うる星やつら』でやりたかったんだろうとも思う。
これは確かに原作者には嫌われるだろうな。だって作品世界全体を否定しているようにもとれるもの。


ただ、この作品を観て、久々にうる星やつらの本編も観たくなった。
是非ウッチャンにも感想を聞いてみたい。